被災地視察
被災地は見るも無惨だった。4月10日~11日にかけ、宮城県の石巻市と仙台市の数カ所を視察してきた。堤防が決壊して水没した集落、街全体が津波にのみこまれた所(旧雄勝町、旧北上町船越集落、名取市閖上地域)。家は壊されなかったものの床上浸水で泥まみれになった商店街(石巻駅前)等である。海の見えない所にまで津波が押し寄せてきているこの現実をどう受け止めたらいいのか。海から4~5km先の内陸部である。当時そこに家を建てた人は津波など、頭の片隅にもなかったであろう。それくらい海から離れているのである。
沿岸部では、3階に居た人までも流され、屋上に逃げた方々がかろうじて助かった。そういう話しを数カ所で聞いた。実際にそのビルを目の当たりにした。3階の窓が割れている。「まさか、そこまで」と否定をしようとする自分の脳がいともあっけなくその事実を認めざるを得ない状態に引き戻されてしまう。脳内が混乱し、現実と非現実が分からなくなる。そんな錯覚に落ちいってしまう。被災地の状況は、それくらい悲惨だ。
復興は途方もなく時間がかかる。現地を見た実感だ。南北500kmという距離を頭の中で描く事ができるだろうか。身近な例を取ってみよう。沖縄本島は南北約120kmである。沖縄の辺戸崎から糸満の喜屋武崎までの海側にある町や集落がすべて潰されて、ぐちゃぐちゃになったと想像しみてる。そんな事あり得ないと思いたい。
しかし、実際は、そのあり得ない状態が起きてしまっており、否、それ以上なのである。
泥を除き、ガレキを除き、街の奥まで流された船を除き、田んぼ中に埋もれた車を除き、それと平行して不明者の捜索を続けていく(丁寧にやらなければならない)
時間は、とにかくかかる。やれる事から一歩一歩やるしかない。10年は見ないといけないだろう。ボランティア、専門家、個人、自治体、政府、国外の力。それぞれがそれぞれの役割を認識し、“復興”という共通目的に向かって役割を果たし行くしかない。そのためには、復興の具体的な姿を示さなければならない。それができるのは政府しかない。党派を超え、習知を結集して、早くその姿が示されるよう、我々国会議員が先頭に立って頑張らなければならない。国民の皆様にも協力をお願いしたい。がんばろう 日本!